自慢話をする人ってどんな人かな
過去の実績や自慢を語る人っていますよね。
「今のやつらは根性がない。俺はめっちゃ残業していた」とか。
「俺はケンカが強くて周りのやつから恐れられた」とか・・・。
あ、これは、私が言われたことがある内容なんですが。
なぜ、この人たちは自分の過去の評価に目を向けてしまうのでしょうか。
過去の自分を伝えることとは
私の周りには何人か「過去の栄光」を語る人がいました。
親しくなって「実はこんなことがあったんだ」という話し方ではなく。
自分の考え方を伝えたい時に、引き合いとして自分の事を話す。
しかも、本人的には成功談(自慢的な・・・?)。
そして、この話をする人は、ある程度社会的立場がある人が多かったです。
こういう話をされると「なんで急にそんなこと言うのかな?」「今の自分に自信がなくなっているのかな?」と、思って聞いていました。
自信がないから、過去の栄光を伝えることしかできないのか、と。
自分のことをもっと知ってほしいという欲求もあるのかな?とも感じていました。
過去の栄光を語るとは
社会人になるといろいろな場面で自己PRをする機会があると思います。
そういう時は、自分の過去の実績や成功体験などを伝えるものです。
自分は、こんなボランティアをしていた。とか
自分は、〇店舗の中で売上一位をとった。とか
そういうことを伝えないと、自分のことを知ってもらう機会にうまく話が進まないこともあります。
しかし「過去の栄光」を語る人は、この自己PRと違う印象を受けます。
この「過去の栄光」は本当の意味で成功談⇒成功体験ではないからかもと、思うからです。
本来の成功体験であれば、自分が体感して得た知識、知恵だったりするのですが。
「過去の栄光」を語る人は、他の人から褒められた話をする傾向が強いと感じました。
自分ではよく分からないけども、世間一般ではどうもこれは凄いらしいという内容を語りたがるという。
だから、その内容には自信がないのだろうなと感じるのだと思います。
自信がないことをうやむやにするのか
自信がある人が良いと思っている訳ではありません。
ですが、自分の中では、良く分かっていない。
自分では体感してつかめた感覚ではないものを判断基準にする。
そうすると、自分の軸ではないものに執着してしまうのではと思うのです。
もし「今は自信がない」と感じたことを受け取ったならば、自信が付くように行動しよう、とすればいいだけのはずです。
そこには、謙虚さがうまれるのだと思います。
ですが、「自信がない自分」に目を向けず、周りから言われた評価を自分の自信と変換している場合は、ずっと周りから言われることに目を向けてしまう状態になるのだと思います。
そして、社会的立場がある人が、過去の栄光を語るのは「自信を持って接しなければいけない」という観念も上乗せしているかもしれないですよね。
自信のある、ないにとらわれない世界
自信があるか、ないかではなく、きちんと自分に目を向けれているのかが大切なのだと常々思います。
そして、人の心には、光の面と闇の面があります。
そして、人は光と闇が波のように揺れている(もしくはグレー)のが一般的なのだと感じます。
もし「自分には自信が持てない」「他人の評価を気にしている」と気づいた場合は、この光が強い人と会話をする(話を聞く)だけでも前向きになれたりします。
そうすると、自分自身の光の面が反応して、光が強くなったりするようです。
そして、光の面が強くなっている状態の時は、「自信がある」「自信がない」という判断基準から脱している。
だけど、ちゃんと向き合う謙虚さがある。
もそもそ、そういう判断の世界に住んでいない、という感じです。
自分の心と向き合うこと。
これからも、それを大切にしていきたいと思います。
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