恥ずかしいという気持ち

YouTubeを撮影してみて思ったことです。

「恥ずかしい」という気持ちの中には、何があるのかなと。

自分を良く見せたい、からか?

何と比べているのか?

でも、闇だけではなく光もあるのかなと思っています。

恥ずかしいはどこからくるのか

私は写真に写るのが苦手でした。

どうして苦手かというと、恥ずかしいから

遠足や修学旅行では、自分の写っている写真を購入することができました(たしか💦)。

私はできる限り写真に写らないよう、カメラに気づくと隠れたものです。

ですが、集中している時や、必死になっている時は、カメラに気づかないので、写真を撮られていたり。

そして、ひどい表情で写っていたものでした。

 

ですが、他の人が写っている写真を見ても同じような気持ちになりません。

他の人の写真を見ると、「楽しそう」とか「笑顔がいいな」と思えるのに。

自分に対してだけ、「気持ち悪い笑顔だな」「どうしてこんな表情したんだろう」と思ってしまうのでした。

でも、この気持ちってどこから来ているのだろうと。

他の人は美男美女という訳ではないのに、すごくキラキラして見えるのに・・・。

自分はとても醜いもののように感じていました。

自分を素直に受け取れない自分

そして、私の場合は、鏡で見る自分は見れるのに、写真になると見れない

だから、写真の方が本来の自分なんだと。

そして、その写真はとても醜いのだと。

そんな感じだったと思います。

 

そして、そんな醜い自分を変えたくて、化粧を頑張ったり、ダイエットをしたりしていました。

ですが、どれだけ頑張っても写真に写る自分の粗ばかり探していました

もっと自分の見た目を変えるにはどうしたら良いんだろうと、考えるようになっていました。

次第に、それはのような感覚だったと思います。

鎧がだんだん大きくなって

当時の私は、周りから近づきにくいと、よく言われたものです。

話してみると違う印象なのに、第一印象は最悪だと。

第一印象が怖いとのことで、ある先生は私を避けていたそうですし(後日談として知ったのですが)。

香水をつけて、髪は派手な色に染めて、服装も柄物で、12センチくらいのヒールを履いていたこともあります。

(私が近くにいるかは、香りで分かると言われたものでした😅)

それだけ武装しても、写真に写る自分を見るのは気持ち悪くて。

なので出来る限り、私が皆の写真を撮るようにしていました。

 

長い期間、その鎧を外すことはできなかったです。

私はこういうのが好きだから」と言い聞かせていたように感じます。

ですが、ショーウィンドウを見ると、無漂白のコットン素材や手染めの服などに心が揺れる時もあり「私はそういう服は似合わないから」と言っていました。

そして、自分は見た目が悪いからナチュラルな服は似合わないんだ、と考えるようにしていました。

「恥ずかしい」の中にある光と闇

当時を振り返ってみると、鎧のように着飾っていた自分は、心の闇が大きくなっていたのだと思います。

何がキッカケだったのか考えてみると。

いじめがあったこともあります。

そして、他人を比べて優越つけたい自分や、客観視したくない自分もいました。

「こういう自分でありたい」「こうならなければいけない」という気持ちも出てきました。

事の始まりは「恥ずかしい」という気持ちだったような気がします。

 

ですが、「恥ずかしい」と思うこと自体が、自分の心の闇なのかと考えると違う気がします。

「恥ずかしい」と思うこと自体は、ただの感情であって。

その感情は、自分のどの心から出てきたものなのか感じることが大切な気がします。

まずは、自分の中で「恥ずかしい」と感じた時。

思った時に「なぜそう思うのかな?」と、自分と向き合うことができれば、私は鎧を着ることはしなかったのかもと思います。

そして、着ているのであれば、脱ぐことができる

直ぐに全て脱げなくても、少しずつ脱げれると思います。

 

鎧は重いものです。

重さに気づけたら第一歩なんだと。

そして自分のできるところから進めていけば、軽やかになるのだと思います。

記録(日記)

Posted by さやか